えらぶの西郷さん

文久2年(1852)8月14日西郷隆盛を乗せた宝徳丸が 沖永良部島 伊延港に到着しました。

代官 黒葛原源助は、付属役 福山清蔵と一緒に乗馬を用意して西郷隆盛を伊延港に迎えました。沖永良部島の間切横目(警備の警察官)土持政照も同伴しました。

西郷隆盛は整然とした態度で出迎えの各位に対して「遠来の労に感謝します。これからは一流罪人として各位を煩わす事になりますが、よろしくお願いします」言葉は乱れず、自ら謹慎の意を表しました。


衆は皆感激し、その礼儀の良さに感謝して、乗馬を勧めましたが西郷は乗馬を拒み 「私は罪人の身であるから、再び土を踏むことはないでしょう。もう一度この土を踏みしめさせて下さい」と言いました。

一同は西郷の意に任せ徒歩で和泊に着きました。

和泊役場では西郷を慰めようと酒の用意をしていましたが西郷は辞退しました。

 

西郷は早く牢屋に入る事を希望し鹿児島から派遣されて来た足軽に鍵の点検をさせ静かに座禅を組みました。

牢屋は2坪余りの粗末な建物で、東西南北、戸はなく壁もなく4面四寸角の格子でした。牢屋は狭い上に戸もなく壁もないので、夏の昼間は焼け付くように暑く、南国の太陽が容赦なくさし込みます。

また沖永良部島は台風の多い島で、台風の時は大波が押し寄せ、牢屋の中に音を立て中に飛び込んできます。

冬になると冷たい北西の風が吹き込んで来ます。

牢屋の中で西郷はぶるぶる震えながら座禅を組んでいました。この様子を見ていて土持政照(警察官)はこれは大変だ、このままでは西郷さんは死んでしまうと思い 自分の家でご馳走を作り持っていきましたが、西郷さんは「美味しいもの食べると死に顔が見苦しいものだそうです。せめて死に顔だけはきれいにしたいと思いまして」と言ってそれを返しました。

不自由な牢屋生活で、西郷の体は、だんだん痩せ細り、顔は青白く、髭はぼうぼうとなり、病人になってしまいました。

土持政照は毎日毎日思い悩みながら、牢番にやってきました。吹きさらしの格子牢を見ながら 思いをめぐらしていました。

ふと「囲いとはどういうものか」と自問自答しました。遠島命令書には「囲いに入れよ」とあるが、「囲い」は家の中に造ってもいいはずだ。「そうだ! 家の中の座敷牢も『囲い』だぞ!」と。

政照は代官に「恐れ多いことでありますが、申し上げます。吉之助様のことでございますが、お殿様は囲いに入れよと、仰せられました。囲いとは座敷牢でもよろしいのではありませんか。今の吹きさらしでは、命が持ちません。座敷牢を私の費用で造ることを、ご許可いただけないでしょうか」

「よかろう。建造いたせ。費用は代官所の費用で出してやろう」と許可がおりました。

衰弱した西郷は、座敷牢に移り 徐々に元気を取り戻しました。

朝の内、和漢こもごも読書に励み、午後は島の子供たちに手習いを教え、晩は 政照をはじめ島役人を教えました。

こうして西郷から教えを受けた人達は その後 優れた人材となって 近代の島の発展に尽力しました。