沖洲会の「沖洲」は何処から生まれたのか。

東京沖洲会会旗

明治20年代から、沖永良部島の子弟が鹿児島の中学・師範学校へ進学しました。
明治39年、奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島出身の学生交流会の「大島郡学生会」の中で、他の島と区別するため沖永良部島出身学生の島会を ふるさと沖永良部島を簡略に呼称するために 頭文字の 「沖」と 島を表す「洲」をとって『沖洲(ちゅうしゅう)』と名付けました。

 

それが島に伝わり、各地の「郷友会」に採用されたと言われています。

 

東京沖洲会も発足当初は「沖洲青年会」と称しましたが 後に 「東京沖州会」と改名しました。


《注1》古くは日本の事を 大八洲(おおやしま)とよんだ。

《注2》沖(音:チュウ 訓:おき) 洲(音:シュウ 訓:す) 


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