沖永良部は 『おもろさうし』《注》に「ゑらぶ」とあり、 『海東諸国紀』の「琉球国之図」(1471年)には「恵羅武嶋(えらぶ)」、 『正保国絵図』(1644年頃)では「永良部嶋」 となっています。
元々は永良部であったのですが沖永良部と成ったのは、 薩摩藩が琉球を支配し、奄美諸島(大島・徳之島・喜界島・沖永良部島・与論島の五島)を直轄領(ちょっかつりょう)とした1609年以降の、時は定かでありませんが、屋久島の北西の位置にある永良部島と奄美諸島の永良部島の二つの永良部島を区別するために薩摩藩から見て「口」と「沖」をつけた と言われています。
《注》おもろさうし(おもろそうし) 沖縄の万葉集といわれる、沖縄最古の歌謡集。12世紀から17世紀にかけて沖縄各地で歌われていた叙事的歌謡を首里王府が編纂したもの。全22巻、1554首からなり、文学としての価値のみならず歴史を解明する上でも重要な位置を占めています。
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